発祥は蔵造りのまちからの卸問屋の集団移転です。

川越バンテアンの設立から現在までの軌跡

川越バンテアンの沿革世情ニュース
1966昭和41年川越市内の卸業者有志による、合同移転計画。
川越商工会議所が実現推進を決める。
先進卸売団地の見学、勉強。
ビートルズ来日(6月)
1967昭和42年川越卸売商業協同組合設立総会。(2月)参加者は32名埼玉国体夏季大会
1968昭和43年候補地を伊佐沼地区市有地として、払下げを申請
設計、資金の準備
3億円強奪事件
1969昭和44年創立祝賀会
埼玉県の商工部より国の中小企業診断事業と認定される
アポロ11号人類初の月面着陸。
1970昭和45年県より診断勧告を受ける大阪万国博覧会
1971昭和46年川越市との土地売買契約締結
組合員企業、組合施設の建築開始
1972昭和47年建築完了、事業所に移転入居が始まる
名称を協同組合埼玉中央卸商団地、町名を問屋町とする
事業会社として株式会社セントラルを設立。保険業務の代行
札幌冬季オリンピック開催
連合赤軍浅間山荘事件
沖縄県発足、日中国交正常化
1973昭和48年郵便局の扱い、金融事業などの協同組合事業の開始
共同倉庫の新設も決める
円為替変動相場制に移行
オイルショック
1974昭和49年従業員のための福利厚生事業開始
共同倉庫の新築
1975昭和50年青年部会発足、九十川沿に桜の木を27本植える
卸団地第二次拡張事業計画の開始
沖縄海洋博覧会
1976昭和51年隣接する冒険の森建設推進のための協力バザールを開催埼玉県の人口500万人
1977昭和52年拡張土地の売買交渉難航する
1978昭和53年町名が問屋町と正式に決定する成田新国際空港開港
隅田川の花火復活
1979昭和54年拡張工事のための各種業務従事東京サミット開催
1982昭和57年東北新幹線、上越新幹線開業
1983昭和58年川越市総合計画の中に卸団地拡張計画の推進が盛り込まれる東京ディズニーランド開園
1984昭和59年拡張地の農振がはずされ地権者への説明会が行われる
土地の買い入れ交渉開始
埼玉県の人口570万人
1985昭和60年新規入居希望企業の募集、説明会つくば科学万博開催
1987昭和62年中央会より活路開拓事業の指定をうけ情報化の研究をおこなう
1988昭和63年第2次拡張計画が完成する
第1回川越産業博覧会が当団地運動場で開催される
本四架橋瀬戸大橋の開通
1989昭和64年元号が平成となる
1990平成2年初めての試みとして新入社員合同入社式を行う
今まで一括配達の郵便物が個別企業への配達となる
第1回小江戸川越花火大会を伊佐沼で開催する
1991平成3年埼玉県より地域中小卸売業活性化推進事業の指定をうける。
1992平成4年川越問屋町簡易郵便局が組合事務局内に設置される。
1993平成5年創立25周年記念式典を川越プリンスホテルで挙行
組合の理念、ロゴマークを決定。名称を「協同組合川越バンテアン」とする
1994平成6年暴走族対策として団地内8か所にハンプ舗装長野冬季五輪開催
1995 平成7年埼玉県知事当組合を視察
1996平成8年バンテアンホームページを開設
1997平成9年共同配送を実施
1998平成10年ダンボール、新聞紙の無料収集の実施。
パソコン教室の開催
創立30周年記念式典を川越プリンスホテルで挙行
1999平成11年創立30周年記念事業として川越市へ「やまぶき」
2000本寄贈。冒険の森に植栽。
賦課金を30%減額
2000平成12年賦課金をさらに30%減額
2001平成13年団地内に企業識別看板の設置
2002平成14年ITコーディネーターによる個別相談会
2003平成15年ホームページのリニューアル
組合創立35周年記念親睦旅行(秋の京都1泊2日)
2004平成16年組合賦課金を半額とする
共同駐車場の一部を3組合員に売却
2005平成17年組合賦課金を0円とする。組合会館リニューアル。
組合駐車場売却の補てんとして新規に北側駐車場1050坪購入
2006平成18年北側駐車場を追加600坪購入。
簡易郵便局民営化のため郵政公社に移行する
2007平成19年組合員親睦旅行(沖縄、八重山4島めぐり2泊3日)
2008平成20年NTTドコモ携帯のアンテナ基地局設置のための説明会リーマンショック
2009平成21年創立40周年記念事業として彫刻のための工房設立を決める。
川越市から冒険の森内に設置することの承認を得る
2010平成22年創立40周年記念、彫刻体験実施棟竣工祝賀会を行う。
2011平成23年組合員親睦旅行(琵琶湖、彦根、長浜 1泊2日)3.11東日本大震災,福島原発爆発
2012平成24年ホームページのリニューアル

組合結成以前

川越は1000年の歴史ある土地である。室町時代の15世紀には太田道灌親子が幕府と対立した鎌倉足利氏後裔の古河公方に対抗するため、古利根川を挟んで江戸、岩付(岩槻)、とともに川越城を築く。その後、後北条氏支配下、着々と都市としての形が出来上がってくる。 江戸時代になると、 江戸に向かう農産物の集散地として、また幕政を担う中核の城下町の一つとして発展する。 明治時代以降、伝統として卸売業は継続するが町割りは古く、道幅も狭く、さらに終戦後の高度経済成長にともなうモータリゼーションへの対応に後れをとる。 そこで市内の卸業者の有志が交通事情や倉庫の狭隘化解決のために集団移転を話し合う。

組合結成

昭和42年に国の卸業支援政策(高度化資金融資)の後押しを得て協同組合を発足 川越商工会議所の支援のもと広く会員を集い、本格的に活動を始める。 高度化資金融資とは3年据え置きの15年返済利息は年2.7%の条件である。現在2012年の金融事情からすれば取り立てて優遇策とは思えないが、その当時の国債利回りが6%以上あった時代ではこれは企業家精神を喚起するに十分な条件であった。 集団化の移転立地は川越市街の東端の現在地であるのだが、その当時は農業用水池に利用されている伊佐沼を浚渫してできた泥土の埋め立て地でかなり地盤の悪い土地であった。しかも当時おこなわれた埼玉国体のバレーボール等の会場予定地でもあったので、農用地用途変更にてこづり、事業は遅々として進まなかった。そのため、組合を離脱する企業も多々あった。数々の障害を克服して 昭和47年4月、ようやくこの地で営業を始めることができた。埼玉県で1番早く組合を結成したのに本格稼働は所沢卸団地に1年遅れた。(ちなみに2012年現在埼玉県には所沢、熊谷、大宮、越谷、と川越バンテアンの5つの卸売団地がある)